親和性は抜群、文学と人類学のマリアージュ ~『悲しき熱帯』『菊と刀』から『ゲド戦記』『守り人』まで~

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米国を代表する文化人類学者、ルース・ベネディクト(1937年)from Wikimedia Commons。一時期は、教え子のマーガレット・ミードと同性愛の恋仲でもあった。

 

詩人にして人類学者:三人の「知の巨人」が残した文学的遺産

エドワード・サピア(Edward Sapir, 1884年1月26日 - 1939年2月4日)
ルース・ベネディクト(Ruth Benedict、1887年6月5日 - 1948年9月17日)
マーガレット・ミード(Margaret Mead、1901年12月16日 - 1978年11月15日)

 

この三人に共通するのは、人類学の黎明期を築いたフランツ・ボアズ(Franz Boas, 1858年7月9日 - 1942年12月21日)の弟子であり、20世紀初頭に活躍した米国の文化人類学者であること。そして、合わせて千以上もの詩を書いていたことである。

 

確かに、古典的な人類学者が著した本は、どこか文学的な香りさえするものが多い。フランスの社会人類学者、クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss、1908年11月28日 - 2009年10月30日)の代表作の一つ『悲しき熱帯(Tristes tropiques)』も、優れた記録文学として、フランスでは1999年に「20世紀の名作50」などで20位に選ばれたほどだ。「悲しき熱帯」って、まるでアルチュール・ランボーArthur Rimbaud)の詩に出てきそうな、秀逸なタイトルではないか……。

 

日本では『菊と刀(The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture)』で知られる、アン・シングルトン(Anne Singleton)のペンネームを使っていたルースは、エドワードとともに(ここでは、あえてファーストネームにしちゃう)、1928年に詩の原稿を出版社に送ったものの、残念ながら没になってしまったようだ。

 

しかし今年の夏(2021年8月)、ついに満を持して「Writing Anthropologists, Sounding Primitives: The Poetry and Scholarship of Edward Sapir, Margaret Mead, and Ruth Benedict」(Reichel, A. E. ed., University of Nebraska Press, 2021)という、3人の詩集が編まれて上梓することとなった。彼らが原稿を送ってから、実に93年越しの夢が実現!

 

余談ながら、マジでこれ、誰か日本語に翻訳してくれないものだろうか……(何なら、自分やるけど?)

 

 人類学的知見を生かしたファンタジー文学

 『ゲド戦記』シリーズなどで有名な米国のファンタジー作家、アーシュラ・K・ル=グウィン(Ursula Kroeber Le Guin、1929年10月21日 - 2018年1月22日)は、自身こそフランス・イタリアのルネサンス期文学を学んだが、父をアルフレッド・L・クローバー(Alfred Louis Kroeber)、母をシオドーラ・クローバー(Theodora Covel Kracaw Kroeber Quinn)に持ち、両親ともに文化人類学者という非常に恵まれた環境で育った。両親から教わったエキゾチックな人類学的世界が、彼女の比類なき想像力を掻き立てたのは間違いない。

 

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北米先住民ヤヒ族の最後の一人といわれるイシ(右)と並ぶル=グウィンの父、アルフレッド・L・クローバー(1911年)from Wikimedia Commons

 

例えば筆者は『ゲド戦記』を読みながら、アースシーに大小の離島が浮かぶアーキペラゴ多島海)の舞台はインドネシアか、フィリピンか、はたまたエーゲ海ニュージーランドか……などと邪推しながら楽しむ一面もあった。

 

日本のファンタジー文学も負けてはいない。『守り人』シリーズを皮切りに、重厚な世界設定に裏づけられたヒット作をリアルタイムで生み出している上橋菜穂子氏は、文化人類学者としてはオーストラリアのアボリジニ*1研究が専門である。ちなみに上橋氏は高校時代、シオドーラ・クローバーの『イシ 二つの世界を生きたインディアンの物語』(岩波書店)を読んでいたという。

 

両者のファンタジー作品に特徴的なのは、いわゆるサイエンス・フィクション(SF)が空想科学小説として、ハイテクやロボット、宇宙といったキーワードで括られるような近代未来を舞台にしているのに対し、あたかも太古の昔に伝えられた伝承の趣さえ醸し出しつつ、ある種の土俗的な人間らしさを湛えていることだろう。また、数多くの他作品に見られがちな、歴史や神話、聖書などにネタを求めた単なる“借り物”感を一切感じさせず、ほぼ一から独自の世界観を築き上げていることも、特筆に値する。

 

www.ursulakleguin.com

 

uehashi.com

 

*1:アボリジニ」という言葉に差別的な響きがあるとして、近年では代わりに「Aboriginal people」「Aboriginal Australians」あるいは「Indigenous Australians」と呼ばれることが多い