エスニック映画を集めてみた ③ ~イヌイットの誇りが生んだ『氷海の伝説』~

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イヌイットの人々が自身のアイデンティティーに立ち返った叙事詩的映像絵巻

『氷海の伝説』(原題:Atanarjuat: The Fast Runner)
公開年:2001年
製作国:カナダ
監督:ザカリアス・クヌク
出演:ナタール・ウンガラーック
第54回カンヌ国際映画祭カメラ・ドール ほか

 

『氷海の伝説』は、口承文学としてイヌイットの人々に伝わる、俊足の英雄アタナグユアトを描いた叙事詩の映画化作品である。全編を通してイヌクティトゥット語で話され、登場人物の全員をイヌイットの人々自身が演じており、あたかもドキュメンタリーのような錯覚を受けるが、映画のエンドクレジットで流れるメイキング映像で、紛れもなく創作だと分かるという巧妙な仕掛けになっている。

 

この作品がロンドンでも封切られる否や、筆者は映画館に駆けつけた。そして冒頭に登場した女性を見て、腰を抜かすほど驚いたのだった。その人とは、若き日のPanikpak役(Kumaglakの妻)を演じたMary Angutautukさん。なんと(どうでもいい話なのだが)筆者が中学校で一緒だったクラスメートの友人そっくりだったのだ! その友人とは今でも付き合いがあるが、映画の感動さめやらぬうちに、さっそく「あんた、こないだイヌイット映画に出てたやろ?」(もちろん出ているわけがない)と冗談でメールを書いて送った記憶がある。

 

もっとも、イヌイットの人々がわれわれ日本人と酷似する可能性は、まったく驚くことではない。人類学の中でも、遺伝子学的アプローチでヒト集団の遺伝的系譜やその多様性、疾患との関連性を解明しようとする分子人類学(molecular anthropology)によれば、日本人はイヌイットの人々と同じモンゴロイドに分類される。ちょっとここらへんの理系分野にはからきし弱いので詳細は割愛するが、つまりは下の地図のように、長い歴史の中で人の流れがあったということだ。

 

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日本人に連なる東アジアのY染色体ハプログループと民族移動 from Wikimedia Commons

 

日本人のルーツについては、当時の最新の発掘調査や科学的成果などを入念に踏まえて制作した『NHKスペシャル 日本人はるかな旅』5回シリーズ(2001年)で興味深く見ることができる(しかも筆者がファンの、あの森田美由紀アナウンサーも出演しているのだ!)。いまだに“日本人=単一民族”説や純潔主義を信じている頭の悪い連中がはびこっている現代の日本でこそ、このような番組が大々的に作られて然るべきなのに、まあ政府広報に成り下がった今のNHKでは到底無理だろうな……。

 

閑話休題。クヌク監督が立ち上げた、カナダ初のイヌイットの人々自身による製作会社「IsumaTV」のYouTubeでは、2分48秒もの長尺の公式予告編が見られるので、ぜひ堪能してほしい。

 

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また、カナダ放送協会の芸術部門である「CBC Arts」のYouTubeでは、クヌク監督と主演のウンガラーックが制作秘話を語っている。二人は同じ学校にも通った幼なじみで、当初ウンガラーックは主人公の兄弟を演じるはずだった。ところが主演となるスターが見つからず、結局彼が引き受けることに。氷上を全裸で突っ走るシーンについて質問を受けたウンガラーックは、「氷点下の中、カメラを前にしてあの役をしたがる人はいないだろう」と苦笑。

 

このインタビューでは、とにかく話者たちの笑顔が素敵だ。民族について楽しく語れるというのは、なんとつくづく素晴らしいことなのだろう。

 

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エスニック映画を集めてみた ② ~ロシアの大地で甦った黒澤明と『デルス・ウザーラ』~

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黒澤映画の中で異彩を放つ、民族の違いを超えた友情のドキュメント

デルス・ウザーラ』(ロシア語:Дерсу Узала、英語:Dersu Uzala)

公開年:1975年

製作国:ソ連、日本

監督:黒澤明

出演:ユーリー・ソローミン、マクシム・ムンズク

第48回アカデミー賞外国語映画賞ソ連代表)

第9回モスクワ国際映画祭金賞・国際映画批評家連盟賞 ほか

 

黒澤監督が渾身の力を振り絞って生み出した一作

戦前から戦後にかけて、日本映画界の花形ともいえるエンターテインメント路線の第一線で活躍し続けながら、一端は挫折に追い込まれた黒澤明監督にとって、自殺未遂後に初めて撮った記念碑的な一作といえる。本作以降、ガラリと作品のスタイルが変わり、『影武者』や『乱』などでむしろ芸術としての映画を追究し、巨匠として円熟味を増していくことになったのは言うまでもない。

 

映画『デルス・ウザーラ』は、ロシア人探検家のウラジーミル・アルセーニエフによる同名の紀行と、同じ著者の『ウスリー地方探検記』を原作としている。実は、黒澤監督が初めて本書を読み、感動のあまり映画化を構想したのは戦前の助監督の頃だったというから、約30年越しの、その思い入れの深さが窺われる。

 

デルス・ウザーラ』に秘められた制作背景については、2015年に黒澤組の野上照代や、ソ連側の助監督だったヴラジーミル・ヴァシーリエフらが共同で編纂した『黒澤明 樹海の迷宮 映画「デルス・ウザーラ」全記録1971-1975』(小学館、2015年)の中で、克明に記されている。過酷な現場での苦悩に満ちた撮影日誌や、ファン垂涎の幻のシナリオなど貴重な資料としての側面ばかりでなく、従来の“黒澤明”像が覆るほどの力を持った暴露本ともいえるかもしれない。

 

www.shogakukan.co.jp

 

ロシア沿海地方大自然の中で撮影された映画のシーンすべてが、まるでロマン主義の風景絵画を見ているような錯覚を起こさせる。ロシアを代表する劇伴作曲家、イサーク・シュワルツ(Isaac Schwartz)の静謐な音楽も美しい。

 

「文明社会の奢りを告発し、自然との共生を謳う」という甘いキャッチコピーが霞んでしまうほどの、あまりに魅力的なデルスという人物を通して、人間の深みをしみじみと味わえることだろう。彼の最期が泣けすぎる……(涙)。私見にすぎないが、黒澤映画の中ではこの『デルス・ウザーラ』が一番好きだ。

 

ちなみに、全編がロシア語で話される中、筆者は「ハラショー(素晴らしい)」くらいしか分からないのだが、あの吹雪の中、二人が凍死しないように沼沢地で一心不乱に枯れ草を刈るシーンで、「カピターン!」「デルスゥ!」と叫び合うのを真似て、悪友とともにしばらくの間、“デルスごっこ”がマイブームだったのは懐かしい思い出である。

 

ロシアの中のエキゾチックな東洋人

デルス・ウザーラという男は、ゴリド人(現在はナナイ族と呼ばれる)の猟師・漁師で、アルセーニエフのガイド役を務めた。ナナイ族とは、ロシアや中国に住むツングース少数民族の一つ。漁撈を営み、シャーマニズムを信仰する人々で、シベリア地方の他のテュルク系、ツングース系、モンゴル系の民族とともに、遠くは日本人の祖先とも考えられている。

 

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デルス・ウザーラ本人の写真(1906年)from Wikimedia Commons

 

当初、デルス役に三船敏郎を予定したそうなのだが、ちょっとそのキャスティングはあり得ない……イメージが壊れ過ぎる。というのは一観客の勝手な印象なのだが、どうやら三船側のスケジュールが合わなかったらしい。そこで白羽の矢が立ったのが、マクシム・ムンズクだった。この人は、本当に最高の適役だったと思う。

 

マクシム・ムンズク(Maxim Monguzhukovich Munzuk、1910年5月2日 - 1999年7月28日)という人物は、どうやらテュルク系民族のトゥバ人だったようだ。今でこそロシア連邦を構成するトゥバ共和国になっているが、彼の生まれた1910年は、清朝が倒れた頃に中国から来た人々が居住していたし、1917年のロシア革命前夜という、政局が極めて不安定な時期だった。だから、誕生したときの正式な国籍が「何人」だったかはいまいち不明である。

 

彼は舞台や映画での俳優のほか、監督、歌手、民謡採集家、作曲家、教師などとしても活躍した。トゥバ地方の劇場を創立するなど、その多才で精力的な功績を称えられ、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国・トゥバ自治ソビエト社会主義共和国(いずれも当時)の「人民芸術家(Наро́дный арти́ст)」という、芸術家に与えられる最高の栄誉称号をはじめ、トゥバ共和国の国家賞も贈られている。

 

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1906年の遠征で、クルンバ川(ペシェルナヤ川)沿いに進むアルセーニエフとデルス・ウザーラ from Wikimedia Commons

エスニック映画を集めてみた ① ~『ピアノ・レッスン』を彩るマオリ文化と英文学~

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ここでは、人類学者が学術的な目的で撮影した記録映画やドキュメンタリー作品、例えばロバート・フラハティーの『極北のナヌーク(Nanook of the North)』(1922年)や『アラン(Man of Aran)』(1934年)などではなく、いわゆるエンターテインメントとして我々が楽しめる映画の中から、どこか民族誌的なにおいがする作品をいくつか選んでご紹介しよう。

 

魂の解放を叫ぶ一人の女性の生き様をピアノの調べに乗せた、美しい映像詩

ピアノ・レッスン』(原題:The Piano)

公開年:1993年

製作国:フランス、ニュージーランド、オーストラリア

監督:ジェーン・カンピオン

出演:ホリー・ハンターハーヴェイ・カイテルアンナ・パキン

第46回カンヌ国際映画祭パルム・ドール ほか

 

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ヴィクトリア朝に生きた女性達へのオマージュ

ニュージーランド出身で、ヴィクトリア大学ウェリントンで人類学を専攻したカンピオン監督は、「『自分の祖先は誰だったのだろう?』と考えたとき、先住民のマオリの人々が長らく暮らしていたニュージーランドへ入植した、この国で歴史を持たない、あるいはマオリと同じ伝統を持たない英国からの植民者達こそが、自分の先祖だったということを意識せざるを得なかった」と告白する。

 

しかしそれと同時に、この映画は人間の本然の姿を露わにして、その美しさを肯定してやまない作品でもある。1850年代に遠くスコットランドから嫁いできたエイダ(ホリー・ハンター)という女性は、愛してもいない男との望まぬ結婚を強いられるが、まさにヴィクトリア朝の典型的な女性を象徴した存在だ。カンピオン監督はさらに続ける。一人の人間として束縛からの解放を求め、激しいエロティシズムを秘め、感情に溢れた心理的な探求を望む「ミステリアスで魅力的な女性を描きたかった」と。

 

映像詩とでも呼びたくなるような美しい印象的なシーンが多いこの作品は、一方でマオリの土俗的な民族性を湛えつつも、個人の精神性を繊細に磨き上げた文学作品の香りが高い。トーマス・フッドの詩「沈黙」からの引用をはじめ、マイケル・ナイマンによる美しいピアノ・ソロ曲「楽しみを希う心(The Heart Asks Pleasure First)」は、米国の詩人、エミリー・ディキンスンの同名の詩にちなんだものだ。

 

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"The Heart asks Pleasure — first —" を記したエミリー・ディキンスン直筆の草稿 from Emily Dickinson Archive

 

例えば、浜辺に放置されたピアノを山の上から黙って見つめるエイダ。一見、無感情にさえ見える彼女の表情は、沈黙すればこそ、何よりも雄弁に語っているように思える。そこであたかも、ブロンテ姉妹の小説に出てくる極上の一場面を読んでいるような気分になるのだから不思議だ。

 

D・H・ローレンスの『チャタレイ夫人の恋人』を引き合いに出しつつ、恋愛・性愛という観点から本作を論じている映画評もある。もっとも、同時代のヴィクトリア朝が舞台という共通性については、あながち邪推ではない。カンピオン監督自身、「(エミリー・ブロンテの)『嵐が丘』を意識した」と語っている。ヴィクトリア朝という、道徳や性差別、階級差別、人種差別により極めて抑圧された時代にあって、なおも人間の魂の普遍性を探ろうとした文学者たちへのオマージュにも思える。

 

それぞれの解釈

余談になるが、試しに同期の友人ソフィー(彼女はイングランド出身)にも「ねえ、『ピアノ・レッスン』ってどうよ?」と尋ねたことがある。しかし、彼女の返事はいささかつれなかった。「あんなの、途中で見るのやめちゃった」のは、やはり劇中のマオリ族の人々に対する扱いが酷かったせいだ。確かに、教会で開かれた白人植民者達によるしょぼいホラーな舞台劇で、人殺しのシーンを見た彼らが本気になって止めようと騒ぎ出したりするシーンをはじめ、マオリ族の女性たちがべインズに結婚を勧めるために、「一生股の間にぶら下げておくだけなの?」と言わせてどっと笑いの渦に包まれるシーンなどは、“マオリが無知蒙昧で卑猥な輩”だと印象づけてしまうきらいが、なきにしもあらず。

 

早い話が、主要な登場人物が全て白人であり、それこそ現代の人類学がことごとく問題視すべき「ヨーロッパ中心主義(Euro-centrism)」の産物だ、というのである。かなり乱暴にまとめてしまえば、「なぜエイダやべインズ、スチュアートらが主人公なの? あいつら植民者でしょ。よその土地にわざわざやって来て、真っ昼間からセックスしてんじゃねーよ!」というのが彼女の見解の大筋なのだった。……まあ、言えてるけど(苦笑)

 

人類学の授業中、今起こっている社会問題や、古い参考文献などを扱う際に必ずといってよいほど登場するのが、「problematic(問題のある)」あるいは「problematise(問題にする)」という言葉だ。冗談ではなく、本当に耳にタコができそうなくらい聞かされたものだが、要するに「鵜呑みにするな」というやつである。エンターテインメントだからといって、差別を助長するような作品が世に出るのはけしからん。ゆえに問題にしなければならない、という教訓。

 

実際に、『ピアノ・レッスン』に対して「白人至上主義の目で作られた最も不愉快な映画」という痛烈な批判を加えた同業者が、自身もマオリとパーケハー(ヨーロッパ系の入植者)の血を引く映画監督、バリー・バークレー(Barry Ronald Barclay、1944年5月12日 - 2008年2月19日)だった。もちろん、今では人道主義に極めて近しい学問の一つと思われる人類学だけに、たとえカンピオン監督にまったく蔑視の意図がなかったとしても、一部の人々からそのような誹りを受けたという現実は、決して否むことはできない。

 

ただ……そういった見解は重々承知の上で、それを差し引いても、抑圧の歴史に生きた一人の謎めいた女性の精神世界を、ピアノの調べに乗せて解放するという視覚的な試みは、カンヌで認められたように、やはり成功だったのではないだろうか、と筆者の中の一部分は思うのである。その意味で「よくやった、カンピオン監督」と称えたくなるのは、ひとえに筆者が詩人たちの美学を、密かに信じているからにほかならない。

 

A thing of beauty is a joy for ever:

― John Keats from "Endymion, Book I"

 

If eyes were made for seeing, then beauty is its own excuse for being.
― Ralph Waldo Emerson from "The Rhodora"

 

美しきものは永遠の喜び

ジョン・キーツエンディミオン』より)

 

もし目が見るために作られたなら

美は それ自体が存在する理由だ

(ラルフ・ウォルドー・エマーソン『ロドーラの花』より)

 

【参考文献】

Margolis, H., 'Introduction - "A Strange Heritage": From Colonization To Transformation?' in Margolis, H., ed., Jane Campion' s The Piano (Cambridge University Press, 1999)

 

マオリと日本人

Wikipediaトリビアで、面白いネタを見つけた。映画の序盤(UNEXTでは16分05秒くらい経過したあたり)で、ジャングルの悪路の中を進むシーンがあるのだが、案内役のマオリ族の男が「あんな所、生きて通れねえ」という日本語を話しているように聞こえる。実際に聞いてみると、本当にそう聞こえるから思わず笑っちゃったけど(爆)、なかなか感動した。実際のマオリ語では「あそこはあなたの向かう道ではない(Ana to huarahi kite kore.)」という意味らしいのだが、そのセリフの前にも「待て、待て」とも聞こえる箇所があるし……。

 

しかし、このWikipediaにあるマオリ語のセリフだが、実際の映画の台本に載っている当該箇所とは、どうも異なるようなのである。くだんのシーンには、次のようなセリフが当てられている。

 

<Scece 19>

Hone(マオリの酋長らしき男)

「E hinga te Koroua ra B Pitama i konci. Kare noa Kia hikina te tapu.」

(Old man Pitama died here. The Tapu hasn't been lifted.)

「パイタマ爺さんがここで死んだんだ。タプがまだ上ってない」

 

Hone

「E Tarna heke atu ki ram - tiro his atu. Rapuhia mai he huarahi re!

(Go and look, find another track eh!)

「見に行こう、別の道を探そうや」

 

「タプ」とは、マオリ語で「神聖なもの」を意味する。ただ、この言葉を端的に言い表せる訳語が日本語にはないらしい。「神聖さ」「魂」「守護神」「先祖」といった概念や存在といったところか。英語で調べてみれば「tapu lifting」など、タプにまつわる儀式らしき記述はあるのだが、なにしろ実際に見てみないことには分からない。

 

それはさておき、台本にも明記されているように、あえて《字幕なし》となっているだけなのかもしれない。あるいは、撮影現場でセリフが書き換えられた可能性も十分にある。……というわけで、ここの検証は終了! それにしても、Wikipediaのセリフは某テレビ番組でネタとして放映されたそうだが、なにしろいろいろとやらかしている番組だけに、きちんと一次情報に当たって調べたかどうかも疑わしい。

 

閑話休題。日本人の祖先にはマオリ族も入っていると考えられているし(縄文土器の紋様とマオリ族の入れ墨の類似性など)、言語学的な日本語の起源としてマオリ語も含まれていることは、学術的な通説としてあることは確かだ。太平洋方面からは、オセアニアの他にも、南インドタミール語、インドネシア語・マレー語などとの類似も指摘されている。典型的なのが「畳語(じょうご。同一の単語を重ねて一語としたもの)」で、例えば「その光景がありありと浮かぶ」の「ありあり」もその一例。

 

(文法的には、モンゴル語チベット語が、日本語とほぼ同じ語順といわれる。おそらくチベット語は、日本語以外で日本のことを「ニホン」と発音する唯一の言語ではないだろうか? そして漢字文化を受け継いだ、中国や朝鮮半島からの影響は言うまでもない)

 

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入れ墨を施したマオリ族の酋長(1773年)from Wikimedia Commons

 

こうしてみると、マオリと日本人が似ているというのは、あながち希望的観測ではないかもしれない。しかしである。やっぱりこのセリフはただの偶然だと思う(笑)

 

ちなみに「マオリ」とは、本来のマオリ語で「普通」という意味だそうだ。「アイヌ」がアイヌ語で「人間」を意味するのと共通して、もともと人間には「~民族」という他者と自分を区別することを意識した概念がなかったのかもしれない。