偉大なる変人、カレン先生のこと ~東洋マニアすぎる英国人教授~

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清朝の滅亡まで宮殿として使われた紫禁城(中国・北京)

 

入学早々、叶わなかった夢

「人類学を学んだら」と謳っておきながら、のっけから脱線しよう。大学でジョイント・ディグリーとして選んだのは社会人類学歴史学だったが、ここでは歴史の授業で出逢い、実に印象深かった人物について、思い出を語ってみたい。

 

なお、本来このブログでは、プライバシー保護のために人名はファーストネームかイニシャルのみを出すつもりだが、今回紹介するのはそれなりに(ちまたでは)名の知れた学者の方々なので、いわゆる準公人(または「みなし公人」と呼ぶらしい)として、また敬意を込めてフルネームで表記させていただくことにする。

 

そもそも、筆者がわざわざSOASを選んだ理由は、デーヴィッド・モーガン教授(Professor David O. Morgan、2019年に逝去)という、英国ではモンゴル史の権威と呼ばれた人物に薫陶を受けようというのが魂胆だった。今なお、欧米ではその分野でスタンダードな名著として知られる『The Mongols』 (Wiley-Blackwell, 1986年/2007年改訂)*1を著した人物である。

 

ところが、1999年までSOASで歴史を教えていたはずのモーガン教授が、その年の新学期には、すでに米国ウィスコンシン大学マディソン校へ移ってしまっていたのだ。筆者は意に反して、仕方なくモンゴルに最も近い(というか消去法で)中国史を専攻するはめになった。奇しくも、全く同じ専攻学科を選んだ同期の友人ソフィーも、やはりモーガン教授がお目当てだったようで、二人で一緒にひどく落胆したのを覚えている。

 

エゲレスくんだりまで来て、何がうれしくて、すでに『学習漫画 中国の歴史』シリーズ(集英社、1987年。小・中学生のときに図書館で借りて読んだやつ。貝塚ひろしさんの漫画でイケメンのチンギス・ハンと妻のボルテとかが好きだった)でお腹いっぱいの、中国史なんかやらねばならないのか。中国好きの父親はむしろ喜んでいたが、それがさらに筆者をムカつかせた。結局、私はこの不満を最後の年になるまでこじらせており、卒論は無理やり「内モンゴル自治区の環境史」をテーマに選んだものだった。

 

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中国国内の少数民族であるモンゴル族の小学校に立つチンギス・ハーン像(中国内モンゴル自治区通遼市)

 

アジアの歴史については、素人ながら一家言ある。中国史というと、どうしても“漢民族寄りの歴史”になってしまう。というのは、長らく無文字文化で、口承文学が主だったモンゴル族やいわゆる辺境の民族は、圧倒的な量の“正史”を著した漢民族ほどに、後世に史料となるものを残さなかった。マジョリティー(多数派)に対する憎悪をこじらせ、社会から疎外されたマイノリティー(少数派)の人たちへの共感から、筆者が本当に学びたかったのは、中央アジア辺りで生きた名も無き人々の歴史だったのだ。

 

Dr. Eccentricと呼ばれた男

それはさておき。1年目にその授業を受け持っていたのが、クリストファー・カレン教授(Professor Christopher Cullen)だった。もともとオックスフォード大学院工学部を出たバリバリの理系で、何を思ったのか、一転してSOASで古典中国語の博士号を取ったという、かなり異色の中国研究者(sinologist)である。

 

理系出身のせいか、やはり自身の研究も、古代中国の天文学や医学、数学に関わるものばかりだ。いったいどんな脳味噌を持っているのか……頭が良いのは確実なのに違いない。それにしても、そういった頭の良さをひけらかすような嫌味だとか、性格の悪さなどカケラも感じさせない人物で、むしろ陽気な笑みをいつも浮かべて楽しそうな人物だった。英国の紳士といったposh(上流階級気取り)な素振りがまるでなく、Cullen(元来、アイリッシュゲール語が由来)という名前からも察するに、常に周囲にアイルランド人的な愛嬌のある親しみやすさを放っていたように思う。

 

私はいつしか、この先生に親近感を持ち、尊敬するようになっていた。良い意味での「変人」は、筆者にとって最大の褒め言葉なのだが、この頃の筆者は、前年のファウンデーションコースで教わった恩師に宛てて、「Dr. Eccentric(変人博士)に逢いました。とても風変わりだけれど、面白い人です」とメールにしたためている。

 

「やっぱりこの人ヘンだ」

新学期もしばらく経ち、担当教授と一対一の話し合いの場を持つ、個人面談のときのこと。生まれて初めて「教授」なる“偉い人”を前にして、やや緊張気味な面持ちの筆者に構わず、席に着くや否や、カレン先生は日本映画によく出てくる殺陣が好きだと言って、にわかに立ったと思いきや、刀を振り下ろす恰好を真似ながら、実に愉快そうに話し始めた。どうやら一時期、研究のために日本にもいたらしい。ほとんどカレン先生の独演会のような面談が終わり、筆者がオフィスを後にする際、「ガンバッテネ!」と人懐っこい日本語で声を掛けてくれたのだった。

 

その後も、「History of Imperial China to 1800(1800年頃までの中国王朝史)」の授業では、クラスで唯一の日本人学生である筆者に向けて、毎回必ず、何かしら日本やら漢字ネタを振ってきては、うれしそうに頷かせるのであった。これってもしかしたら、えこひいき? いや、ただカレン先生の東アジアオタクが過ぎていただけだと思う……。その証拠に、授業中にいきなり古代中国の民謡まで歌い出すのだから、相当のレベルではないだろうか。

 

その「偉大なる変人」も、翌年からは研究のためにSOASを去ってしまった。本当なら、カレン先生に卒論まで見てもらいたかったのに……。失意のうちに、やがて大学での1年目が終わった。

 

カレン先生は現在、ケンブリッジ大学で東アジア科学・技術・医学史の名誉教授、また同大学のニーダム研究所(Needham Research Institute/中国語:李約瑟研究所)で所長などを務めた後、名誉教授になっている。そこで、『Science and Civilisation in China(中国の科学と文明)』という1954年から延々と続いているシリーズ研究書の編集を、前任のジョセフ・ニーダム博士から引き継いでいるという(この書、1冊数万円もするらしいけど……)。にこやかに笑みを浮かべながら、相変わらず楽しそうに研究に熱中している先生の姿が浮かんでくる。というか……どんだけマニアなのか⁉

 

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ケンブリッジにあるニーダム研究所(Cambridge, England)from Wikimedia Commons

 

本当に東アジアの学究的世界が好きなのだな、と脱帽するばかりである。興味のある分野こそ全くかけ離れてはいたが、いずれにしても、カレン先生ほどのユニークで面白い「偉大なる変人」は、後にも先にも、残念ながらSOASで出逢うことはなかった。

 

 

【クリストファー・カレン教授の主な編著書】

  • 〈翻訳〉The Suàn shù shū 筭數書 ‘Writings on reckoning’ (Needham Research Institute, 2004) ※こちらから無料でダウンロード可
  • 〈共同編集〉Medieval Chinese Medicine: The Dunhuang Medical Manuscripts (Needham Research Institute Series) (Routledge, 2004)
  • 〈編集〉Astronomy & Maths in Ancient China: The 'Zhou Bi Suan Jing' (Needham Research Institute Studies, Series Number 1) (Cambridge University Press, 2008)
  • 〈著〉The Foundations of Celestial Reckoning: Three Ancient Chinese Astronomical Systems (Scientific Writings from the Ancient and Medieval World) (Routledge, 2016)
  • 〈著〉Heavenly Numbers: Astronomy and Authority in Early Imperial China (Oxford University Press, 2017)

*1:邦題では『モンゴル帝国の歴史』杉山正明・大島淳子訳(角川書店、1993年)としても刊行。現在は絶版