日本人が外国で暮らすということ ~人類学を地で行く留学体験~
はじめに:なぜ書くか
1990年代は、日本で空前の留学ブームに火が付いた時期でした。バブル崩壊後、自信喪失していた日本人の目が、まだ健全に外の世界へ開かれていた時代。当時の若い世代は、「なんとなくカッコいいな~」という気分で、語学留学やワーキングホリデー、海外旅行などに行く者から、自分探しのためにバックパッカーとして飛び出す者、あるいは真剣に学問を追究したいと志す者まで、ネコもシャクシも海外に憧れていました。バブル崩壊後とはいえ、親世代がまだ経済的に余力があったことも、理由の一つかもしれません。
当時の学校や社会の気運を振り返ると、「国際化(globalisation/internationalisation、※イギリス英語表記)」という言葉がむしろ好意的に歓迎され、田舎の自治体ですら、他国の姉妹都市との交流に躍起になっていました。相も変わらず英語のできない日本人が、少しの接点で国際人の仲間入りをしたような心地になって喜んでいる様は、いささか茶番としか言いようがないものの、それでもどこか微笑ましさを感じられる解放感や、何かしらの前向きな連帯感があったように思います。
かくいう筆者も、世紀の変わり目を挟んで、英国の大学に在籍していた時期がありました。交換留学ではなく、どこかから派遣された留学でもなく、高校卒業後に1年間のファウンデーションコース(昔風にいえば「予科」とでも呼ぶのだろう)を経て、いわば正規の学士課程に進んだ学生の中の一人でした。専攻は社会人類学(social anthropology)と歴史学のジョイント・ディグリー。しかし英国の大学といっても、アジアとアフリカに特化した研究機関という、一風変わった環境でした。
文部科学省の統計(2021年3月時点)によれば、「高等教育機関(大学・大学院等)に単位を伴う長期留学をする日本人(社会人も含む)の数は、2004年をピークに3割ほど減少し、近年は横ばいの状況」とあります。ちょうどGDPが2000年から大きく後退した時期と重なり、まさに日本は就職氷河期に突入。
なぜ今になって、わざわざ二十年前の体験を綴ろうという気になったのか。筆者は、まさにロストジェネレーションと呼ばれた世代の末端の人間です。雇用機会を断ち切られ、たとえ仕事をしても安賃金で悪条件の非正規雇用にしかありつけず、よもや結婚や家庭など夢のまた夢……という現実を、自分と同世代の境遇に嫌というほど見せつけられたのでした。そして、ここ十数年の内向きで閉塞した日本社会や、“グローバル人材育成の必要性”を謳いながら、実際にはそれに逆行するような政治の在り方、世界に波及した昨今のBlack Lives Matter運動、アジア人に対するヘイトクライムなど……思うところ多々あり、過去を振り返ることで、現在の状況を見直し、将来を見据えるための礎としたいというのが、本ブログを開設した動機の一つでもあります。
異文化を受け入れて、新しい人生の可能性に生きる
他国に住みながら、世界の民族について考える。これはなかなか珍しい体験かもしれません。なぜなら自分自身が、なにがしかの“民族性”を帯びた存在=外国人になる、ということにほかならないのですから。
「人類学」とは何か、あるいは人類学に欠かせない「民族」という概念の定義については、また別の機会に語るべき課題として、ひとまず置いておきます。ここではざっくりと、自分にとって外国とはどのような意味があるのかを、考えてみたいと思います。
コロナ禍で旅行はおろか、近所への外出さえも極力控えなければならなかった去年のこと。「いちいち大金をはたいて面倒な海外旅行に出掛けなくても、VRの仮想体験でいいじゃん」と言って憚らない人がいましたが、なんと貧しい世界観、なんとつまらない人生なのだろうと思ってしまいました。
外国での旅が好きな方なら、きっと共感してくださると思いますが、その土地に降り立ったときに触れる空気、皮膚で感じる暑さ・寒さ、鼻腔で吸って感じるエキゾチックなにおい、そこかしこで飛び交う耳慣れない外国語、視界に入る人々や街並み、植物、空模様――それらのすべてが「別世界に来た!」という実感を伴って、全身で感動を味わわせてくれるのです。何時間もの長いフライトの後、空港の外に出た瞬間のこの感動は、どんなに旅の回数を重ねても色褪せることがないですね。
外国で暮らすということは、もう一つの新たな人生の可能性を生きることにほかなりません。だからこそ視野も広がり、視座も深くなり、人生そのものが豊かになるのです。
筆者がTwitterでフォローしているアカウントの中には、プロの翻訳者や通訳者をはじめ、高い語学能力を駆使してさまざまな分野で活躍されている方々が何人かいらっしゃいます。中でもこの素晴らしいツイートには、外国語を学ぶことの精髄ともいうべき、語学学習者があるべき姿のエッセンスが凝縮されているといっていいでしょう。
私にとって語学とは
— 如月🇨🇳息をするように中国語する (@O8ivtDzs9GNHmzH) 2021年5月19日
外国の文化と精神の結晶を享受する
至高の学問です。
文化と精神がおろそかにされがちな現代だからこそ、何とも心に響く言葉です。もちろん、日本という風土もその中の一つであり、日本語で話し、読み、書くことは意義のあることに違いありません。ただもう少し、何かしら人生のスパイスが欲しい。そして外国語を学ぶということは、別の風土に息づく文化と精神に直接触れる営みにほかならず、人生にかりそめならぬ彩りを与えてくれる、恩恵そのものだというのです。
最後に、海外留学や海外生活を真剣に考えている人達にとって最も重要だと思われる心構えを、以下のツイートから引用します。
英語より大切なものがある。それは、あなたが「自分とは違う世界を受け入れる力」つまりは「異文化受容能力」を身につけること。これまでに見たことのない世界に飛び入るからこそ、新鮮な視点でものを見ることができる。この能力は侮れない。🌞☀️
— HIDE@英語ナビゲーターコーチ&語学嬉業家 (@bilingualhide) 2021年5月19日