エスニック映画を集めてみた ② ~ロシアの大地で甦った黒澤明と『デルス・ウザーラ』~
黒澤映画の中で異彩を放つ、民族の違いを超えた友情のドキュメント
『デルス・ウザーラ』(ロシア語:Дерсу Узала、英語:Dersu Uzala)
公開年:1975年
製作国:ソ連、日本
監督:黒澤明
出演:ユーリー・ソローミン、マクシム・ムンズク
黒澤監督が渾身の力を振り絞って生み出した一作
戦前から戦後にかけて、日本映画界の花形ともいえるエンターテインメント路線の第一線で活躍し続けながら、一端は挫折に追い込まれた黒澤明監督にとって、自殺未遂後に初めて撮った記念碑的な一作といえる。本作以降、ガラリと作品のスタイルが変わり、『影武者』や『乱』などでむしろ芸術としての映画を追究し、巨匠として円熟味を増していくことになったのは言うまでもない。
映画『デルス・ウザーラ』は、ロシア人探検家のウラジーミル・アルセーニエフによる同名の紀行と、同じ著者の『ウスリー地方探検記』を原作としている。実は、黒澤監督が初めて本書を読み、感動のあまり映画化を構想したのは戦前の助監督の頃だったというから、約30年越しの、その思い入れの深さが窺われる。
『デルス・ウザーラ』に秘められた制作背景については、2015年に黒澤組の野上照代や、ソ連側の助監督だったヴラジーミル・ヴァシーリエフらが共同で編纂した『黒澤明 樹海の迷宮 映画「デルス・ウザーラ」全記録1971-1975』(小学館、2015年)の中で、克明に記されている。過酷な現場での苦悩に満ちた撮影日誌や、ファン垂涎の幻のシナリオなど貴重な資料としての側面ばかりでなく、従来の“黒澤明”像が覆るほどの力を持った暴露本ともいえるかもしれない。
ロシア沿海地方の大自然の中で撮影された映画のシーンすべてが、まるでロマン主義の風景絵画を見ているような錯覚を起こさせる。ロシアを代表する劇伴作曲家、イサーク・シュワルツ(Isaac Schwartz)の静謐な音楽も美しい。
「文明社会の奢りを告発し、自然との共生を謳う」という甘いキャッチコピーが霞んでしまうほどの、あまりに魅力的なデルスという人物を通して、人間の深みをしみじみと味わえることだろう。彼の最期が泣けすぎる……(涙)。私見にすぎないが、黒澤映画の中ではこの『デルス・ウザーラ』が一番好きだ。
ちなみに、全編がロシア語で話される中、筆者は「ハラショー(素晴らしい)」くらいしか分からないのだが、あの吹雪の中、二人が凍死しないように沼沢地で一心不乱に枯れ草を刈るシーンで、「カピターン!」「デルスゥ!」と叫び合うのを真似て、悪友とともにしばらくの間、“デルスごっこ”がマイブームだったのは懐かしい思い出である。
ロシアの中のエキゾチックな東洋人
デルス・ウザーラという男は、ゴリド人(現在はナナイ族と呼ばれる)の猟師・漁師で、アルセーニエフのガイド役を務めた。ナナイ族とは、ロシアや中国に住むツングース系少数民族の一つ。漁撈を営み、シャーマニズムを信仰する人々で、シベリア地方の他のテュルク系、ツングース系、モンゴル系の民族とともに、遠くは日本人の祖先とも考えられている。
当初、デルス役に三船敏郎を予定したそうなのだが、ちょっとそのキャスティングはあり得ない……イメージが壊れ過ぎる。というのは一観客の勝手な印象なのだが、どうやら三船側のスケジュールが合わなかったらしい。そこで白羽の矢が立ったのが、マクシム・ムンズクだった。この人は、本当に最高の適役だったと思う。
マクシム・ムンズク(Maxim Monguzhukovich Munzuk、1910年5月2日 - 1999年7月28日)という人物は、どうやらテュルク系民族のトゥバ人だったようだ。今でこそロシア連邦を構成するトゥバ共和国になっているが、彼の生まれた1910年は、清朝が倒れた頃に中国から来た人々が居住していたし、1917年のロシア革命前夜という、政局が極めて不安定な時期だった。だから、誕生したときの正式な国籍が「何人」だったかはいまいち不明である。
彼は舞台や映画での俳優のほか、監督、歌手、民謡採集家、作曲家、教師などとしても活躍した。トゥバ地方の劇場を創立するなど、その多才で精力的な功績を称えられ、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国・トゥバ自治ソビエト社会主義共和国(いずれも当時)の「人民芸術家(Наро́дный арти́ст)」という、芸術家に与えられる最高の栄誉称号をはじめ、トゥバ共和国の国家賞も贈られている。