人間、このタマネギ的なるもの ~「文化相対主義」をめぐる一考察~

 

f:id:notabene:20210523003556j:plain

タマネギの断面 from Wikimedia Commons

 

社会科学系の学問をする意義

人間というのは、さしずめタマネギのような生き物だと思っている。これは、あるときから自分の中で着想したイメージに過ぎないのだが、もしかしたら以前に本で読んだのか、あるいか何かの授業で聞いた話だったかもしれない。

 

これと類似した指摘をしている、劇作家の平田オリザ氏による文章を見つけたので、その著作から引用してみよう。(コミュニケーションについて書かれたこの本は、いろいろな視点から見ても非常に良いので、また別の機会に改めて触れてみたい)

 

科学哲学が専門の村上陽一郎先生は、人間をタマネギにたとえている。タマネギは、どこからが皮でどこからがタマネギ本体ということはない。皮の総体がタマネギだ。

 

人間もまた、同じようなものではないか。本当の自分なんてない。私たちは、社会における様々な役割を演じ、その演じている役割の総体が自己を形成している。

 

(『わかりあえないことから ーコミュニケーション能力とは何かー』平田オリザ 著 講談社現代新書

 

この「人間=タマネギ説」をさらに深化させてみれば、国家・民族・宗教・社会・組織・学校・家庭・ジェンダー……そういったありとあらゆる皮を纏いつつ暮らしているのが、いわば普段の、社会的な生き物としての「私たち」である。そのタマネギを覆っているすべての皮を剝ぎ取って初めて、個人という芯が現れるのだ。

 

タマネギの芯としての個人の存在や思考を論理的に追究するのが哲学であり、人間の本然の姿を極限まで問い、生の可能性を美学的に探究するのが文学や芸術の仕事だとしたら、では社会学や人類学を学ぶ意義とは、いったい何だろうか?

 

それは畢竟、こういうことだ。人間が一個体として存在できない、非力な社会的生き物である以上、何かしらの皮を纏って生きざるを得ない。その皮のおかげで利することもある。しかし、その皮を押しつけられ、纏わされることで逆にその人が不幸になっているとしたら?

 

その皮が、個人を理不尽な境遇に追いやり、社会・組織の中で軋轢を掛けたり、ある特徴を伴った人々を疎外(=marginalise)したとき、理不尽を被っている側の人々がよりよい生を生きるためには、どうすればいいのか。その皮の正体を突き詰め、理不尽の仕組みを読み解き、可能な限りの解決法を提示することこそが、社会学や人類学の役割ではないか。逆にいえば、問題のある社会に対して、解決法やその可能性の糸口を提示できないような独り善がりの社会学や人類学は、もはや人間の集団を対象とした箱庭遊び以外の何ものでもなく、不毛かつ無意味でさえある。

 

とりあえず、井戸の中から出てみよう

古典的な人類学風にいえば、いかなるコミュニティーに生きている人でも、多かれ少なかれ「自分が生まれ育ったこの空間が、世界で一番素晴らしい」という錯覚を起こすのだそうだ。例えば、モンゴルの草原でゲルに住むおっちゃんにとって、小規模な一族とともに家畜を引き連れ、自然の移り変わりとともに慎ましく暮らす遊牧民生活が、彼にとってのベストな生き方なのだ。

 

f:id:notabene:20210525012749j:plain

内モンゴルでは半定住・半放牧の生活が営まれている(中国内モンゴル自治区通遼市庫倫旗)

 

それはそれで、素晴らしい。その生き方が、その人にとって絶対的価値を持ち、かつ他社の生活をも侵害することがなければ、誰にも文句を言われる謂れはないはずだ。

 

ところが、モンゴルのように自然が圧倒的存在であり、人間が小さく生きていればいいような環境は、ことに現代、むしろ人間社会としては珍しくなりつつある。多くの人間社会では、狭い面積の中に人間がひしめき合い、隣人が外国籍だったり、別の宗教を信仰していたり、LGBTQIA+の人だったりする可能性も往々にしてある。

 

他者と共生して生きるためには、絶対的価値観ではなく、相対性の価値観を持つことが必須となる。それを拒否しようものなら、その人間社会は憎悪や敵意が渦巻く、阿鼻叫喚の地獄となるだろう。つい今月に起きた、報復としてのイスラエルによるパレスチナ自治区ガザ地区への空爆(2021年5月10日、同月21日に停戦発効)は、その最たる出来事である。

 

実際、日本列島に住むわれわれも、そういった相対的価値観の欠如とは決して無縁ではいられない。国際化を歓迎する外向きな風潮だった1990年代に比べて、世界の先進諸国がほぼ同じ方向に進んでいるスタンダードの時代とは真逆に逆行している、現代の日本社会全体を覆う暗雲のような閉塞感たるや、特にコロナ危機にあって極めて耐え難いものがある(と複数の知人達も口をそろえて言っているので、おそらくその感覚は間違いがない)。

 

再び、平田氏の言葉を借りてみる。

 

これは文化や風土の違いだから、善し悪しではないし、まして優劣でもない。

 

それぞれの国や民族には、それぞれの文化があり、それはそれぞれ尊く、美点がある。と同時に、当然、他国の文化にも学ぶべき点もあるだろう。

 

(同上、一部抜粋)

 

平田氏は演劇界の方で、文学の人なのだが、これを単なる口当たりのよい理想だと一蹴できるだろうか。否、むしろ人類学の根底は、この言葉に凝縮されているといえる。

 

この文章を記したときに、平田氏が果たして人類学的な用語を意識されたのかどうかは分からない。ただ言えるのは、上記の引用が、20世紀前半に米国の文化人類学から発展した「文化相対主義(cultural relativism)」と、実によく共鳴するということだ。文化相対主義のエッセンスをそのまま象徴しているのではないかとさえ思う。

 

もっとも文化相対主義については、いささか面倒な経緯があって、後年さまざまな方面から批判を浴びた。エスニック好きで高い理想を持ち、人類学について何の予備知識もなく専攻したかわいそうな学生たちは、偏狭なアカデミズムの中でそれらの検証についてあれこれ聞かされ、半ばうんざりしながら理解に苦しむことになるのだが(苦笑)、それでも概ね、文化相対主義が基本的に「全ての文化には優劣がなく、平等に尊ばれるべきだ」という通念を社会に広め、多くの人々の意識に根づかせた功績は、ほとんどの論者が肯定的に認めるところであろう。

 

あるとき、教官の一人が「人類学は、ある意味で哲学的な営みだ」と教わったときには、いささか拍子抜けしたが、今ならよく分かる気がする。人類学の役割とは、社会(=人間の集団)を対象としながら、本質的には個人の存在に関わる問いかけであることを忘れるな、という信条にも似た戒めだったのかもしれない。

 

「もし自分とは異なる特徴を持った他者が、隣りにやってきたとしたら?」

「“井の中の蛙”、世間知らずの田舎者のままでいたいか?」

 

などと自問したとき、胸に手を当てて考えてみるといい。答えはおのずから出てくる。筆者の場合、それは「タマネギのことをもっとよく知りたい」という無邪気で素朴な好奇心と、過去に受けた自身の体験を鑑みて、他者が抱える痛みに共感すること、そしてあわよくば人間がよりよい生を生きるために何かしら役に立ってみたいという、生涯にわたるテーゼのようなものだと認識している。

 

f:id:notabene:20210525013354j:plain

夕陽に映える内モンゴルの草原(中国内モンゴル自治区通遼市庫倫旗)

 

親和性は抜群、文学と人類学のマリアージュ ~『悲しき熱帯』『菊と刀』から『ゲド戦記』『守り人』まで~

f:id:notabene:20210523055747j:plain

米国を代表する文化人類学者、ルース・ベネディクト(1937年)from Wikimedia Commons。一時期は、教え子のマーガレット・ミードと同性愛の恋仲でもあった。

 

詩人にして人類学者:三人の「知の巨人」が残した文学的遺産

エドワード・サピア(Edward Sapir, 1884年1月26日 - 1939年2月4日)
ルース・ベネディクト(Ruth Benedict、1887年6月5日 - 1948年9月17日)
マーガレット・ミード(Margaret Mead、1901年12月16日 - 1978年11月15日)

 

この三人に共通するのは、人類学の黎明期を築いたフランツ・ボアズ(Franz Boas, 1858年7月9日 - 1942年12月21日)の弟子であり、20世紀初頭に活躍した米国の文化人類学者であること。そして、合わせて千以上もの詩を書いていたことである。

 

確かに、古典的な人類学者が著した本は、どこか文学的な香りさえするものが多い。フランスの社会人類学者、クロード・レヴィ=ストロース(Claude Lévi-Strauss、1908年11月28日 - 2009年10月30日)の代表作の一つ『悲しき熱帯(Tristes tropiques)』も、優れた記録文学として、フランスでは1999年に「20世紀の名作50」などで20位に選ばれたほどだ。「悲しき熱帯」って、まるでアルチュール・ランボーArthur Rimbaud)の詩に出てきそうな、秀逸なタイトルではないか……。

 

日本では『菊と刀(The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture)』で知られる、アン・シングルトン(Anne Singleton)のペンネームを使っていたルースは、エドワードとともに(ここでは、あえてファーストネームにしちゃう)、1928年に詩の原稿を出版社に送ったものの、残念ながら没になってしまったようだ。

 

しかし今年の夏(2021年8月)、ついに満を持して「Writing Anthropologists, Sounding Primitives: The Poetry and Scholarship of Edward Sapir, Margaret Mead, and Ruth Benedict」(Reichel, A. E. ed., University of Nebraska Press, 2021)という、3人の詩集が編まれて上梓することとなった。彼らが原稿を送ってから、実に93年越しの夢が実現!

 

余談ながら、マジでこれ、誰か日本語に翻訳してくれないものだろうか……(何なら、自分やるけど?)

 

 人類学的知見を生かしたファンタジー文学

 『ゲド戦記』シリーズなどで有名な米国のファンタジー作家、アーシュラ・K・ル=グウィン(Ursula Kroeber Le Guin、1929年10月21日 - 2018年1月22日)は、自身こそフランス・イタリアのルネサンス期文学を学んだが、父をアルフレッド・L・クローバー(Alfred Louis Kroeber)、母をシオドーラ・クローバー(Theodora Covel Kracaw Kroeber Quinn)に持ち、両親ともに文化人類学者という非常に恵まれた環境で育った。両親から教わったエキゾチックな人類学的世界が、彼女の比類なき想像力を掻き立てたのは間違いない。

 

f:id:notabene:20210529224158j:plain

北米先住民ヤヒ族の最後の一人といわれるイシ(右)と並ぶル=グウィンの父、アルフレッド・L・クローバー(1911年)from Wikimedia Commons

 

例えば筆者は『ゲド戦記』を読みながら、アースシーに大小の離島が浮かぶアーキペラゴ多島海)の舞台はインドネシアか、フィリピンか、はたまたエーゲ海ニュージーランドか……などと邪推しながら楽しむ一面もあった。

 

日本のファンタジー文学も負けてはいない。『守り人』シリーズを皮切りに、重厚な世界設定に裏づけられたヒット作をリアルタイムで生み出している上橋菜穂子氏は、文化人類学者としてはオーストラリアのアボリジニ*1研究が専門である。ちなみに上橋氏は高校時代、シオドーラ・クローバーの『イシ 二つの世界を生きたインディアンの物語』(岩波書店)を読んでいたという。

 

両者のファンタジー作品に特徴的なのは、いわゆるサイエンス・フィクション(SF)が空想科学小説として、ハイテクやロボット、宇宙といったキーワードで括られるような近代未来を舞台にしているのに対し、あたかも太古の昔に伝えられた伝承の趣さえ醸し出しつつ、ある種の土俗的な人間らしさを湛えていることだろう。また、数多くの他作品に見られがちな、歴史や神話、聖書などにネタを求めた単なる“借り物”感を一切感じさせず、ほぼ一から独自の世界観を築き上げていることも、特筆に値する。

 

www.ursulakleguin.com

 

uehashi.com

 

*1:アボリジニ」という言葉に差別的な響きがあるとして、近年では代わりに「Aboriginal people」「Aboriginal Australians」あるいは「Indigenous Australians」と呼ばれることが多い

偉大なる変人、カレン先生のこと ~東洋マニアすぎる英国人教授~

f:id:notabene:20210522074319j:plain

清朝の滅亡まで宮殿として使われた紫禁城(中国・北京)

 

入学早々、叶わなかった夢

「人類学を学んだら」と謳っておきながら、のっけから脱線しよう。大学でジョイント・ディグリーとして選んだのは社会人類学歴史学だったが、ここでは歴史の授業で出逢い、実に印象深かった人物について、思い出を語ってみたい。

 

なお、本来このブログでは、プライバシー保護のために人名はファーストネームかイニシャルのみを出すつもりだが、今回紹介するのはそれなりに(ちまたでは)名の知れた学者の方々なので、いわゆる準公人(または「みなし公人」と呼ぶらしい)として、また敬意を込めてフルネームで表記させていただくことにする。

 

そもそも、筆者がわざわざSOASを選んだ理由は、デーヴィッド・モーガン教授(Professor David O. Morgan、2019年に逝去)という、英国ではモンゴル史の権威と呼ばれた人物に薫陶を受けようというのが魂胆だった。今なお、欧米ではその分野でスタンダードな名著として知られる『The Mongols』 (Wiley-Blackwell, 1986年/2007年改訂)*1を著した人物である。

 

ところが、1999年までSOASで歴史を教えていたはずのモーガン教授が、その年の新学期には、すでに米国ウィスコンシン大学マディソン校へ移ってしまっていたのだ。筆者は意に反して、仕方なくモンゴルに最も近い(というか消去法で)中国史を専攻するはめになった。奇しくも、全く同じ専攻学科を選んだ同期の友人ソフィーも、やはりモーガン教授がお目当てだったようで、二人で一緒にひどく落胆したのを覚えている。

 

エゲレスくんだりまで来て、何がうれしくて、すでに『学習漫画 中国の歴史』シリーズ(集英社、1987年。小・中学生のときに図書館で借りて読んだやつ。貝塚ひろしさんの漫画でイケメンのチンギス・ハンと妻のボルテとかが好きだった)でお腹いっぱいの、中国史なんかやらねばならないのか。中国好きの父親はむしろ喜んでいたが、それがさらに筆者をムカつかせた。結局、私はこの不満を最後の年になるまでこじらせており、卒論は無理やり「内モンゴル自治区の環境史」をテーマに選んだものだった。

 

f:id:notabene:20210522091828j:plain

中国国内の少数民族であるモンゴル族の小学校に立つチンギス・ハーン像(中国内モンゴル自治区通遼市)

 

アジアの歴史については、素人ながら一家言ある。中国史というと、どうしても“漢民族寄りの歴史”になってしまう。というのは、長らく無文字文化で、口承文学が主だったモンゴル族やいわゆる辺境の民族は、圧倒的な量の“正史”を著した漢民族ほどに、後世に史料となるものを残さなかった。マジョリティー(多数派)に対する憎悪をこじらせ、社会から疎外されたマイノリティー(少数派)の人たちへの共感から、筆者が本当に学びたかったのは、中央アジア辺りで生きた名も無き人々の歴史だったのだ。

 

Dr. Eccentricと呼ばれた男

それはさておき。1年目にその授業を受け持っていたのが、クリストファー・カレン教授(Professor Christopher Cullen)だった。もともとオックスフォード大学院工学部を出たバリバリの理系で、何を思ったのか、一転してSOASで古典中国語の博士号を取ったという、かなり異色の中国研究者(sinologist)である。

 

理系出身のせいか、やはり自身の研究も、古代中国の天文学や医学、数学に関わるものばかりだ。いったいどんな脳味噌を持っているのか……頭が良いのは確実なのに違いない。それにしても、そういった頭の良さをひけらかすような嫌味だとか、性格の悪さなどカケラも感じさせない人物で、むしろ陽気な笑みをいつも浮かべて楽しそうな人物だった。英国の紳士といったposh(上流階級気取り)な素振りがまるでなく、Cullen(元来、アイリッシュゲール語が由来)という名前からも察するに、常に周囲にアイルランド人的な愛嬌のある親しみやすさを放っていたように思う。

 

私はいつしか、この先生に親近感を持ち、尊敬するようになっていた。良い意味での「変人」は、筆者にとって最大の褒め言葉なのだが、この頃の筆者は、前年のファウンデーションコースで教わった恩師に宛てて、「Dr. Eccentric(変人博士)に逢いました。とても風変わりだけれど、面白い人です」とメールにしたためている。

 

「やっぱりこの人ヘンだ」

新学期もしばらく経ち、担当教授と一対一の話し合いの場を持つ、個人面談のときのこと。生まれて初めて「教授」なる“偉い人”を前にして、やや緊張気味な面持ちの筆者に構わず、席に着くや否や、カレン先生は日本映画によく出てくる殺陣が好きだと言って、にわかに立ったと思いきや、刀を振り下ろす恰好を真似ながら、実に愉快そうに話し始めた。どうやら一時期、研究のために日本にもいたらしい。ほとんどカレン先生の独演会のような面談が終わり、筆者がオフィスを後にする際、「ガンバッテネ!」と人懐っこい日本語で声を掛けてくれたのだった。

 

その後も、「History of Imperial China to 1800(1800年頃までの中国王朝史)」の授業では、クラスで唯一の日本人学生である筆者に向けて、毎回必ず、何かしら日本やら漢字ネタを振ってきては、うれしそうに頷かせるのであった。これってもしかしたら、えこひいき? いや、ただカレン先生の東アジアオタクが過ぎていただけだと思う……。その証拠に、授業中にいきなり古代中国の民謡まで歌い出すのだから、相当のレベルではないだろうか。

 

その「偉大なる変人」も、翌年からは研究のためにSOASを去ってしまった。本当なら、カレン先生に卒論まで見てもらいたかったのに……。失意のうちに、やがて大学での1年目が終わった。

 

カレン先生は現在、ケンブリッジ大学で東アジア科学・技術・医学史の名誉教授、また同大学のニーダム研究所(Needham Research Institute/中国語:李約瑟研究所)で所長などを務めた後、名誉教授になっている。そこで、『Science and Civilisation in China(中国の科学と文明)』という1954年から延々と続いているシリーズ研究書の編集を、前任のジョセフ・ニーダム博士から引き継いでいるという(この書、1冊数万円もするらしいけど……)。にこやかに笑みを浮かべながら、相変わらず楽しそうに研究に熱中している先生の姿が浮かんでくる。というか……どんだけマニアなのか⁉

 

f:id:notabene:20210522093936j:plain

ケンブリッジにあるニーダム研究所(Cambridge, England)from Wikimedia Commons

 

本当に東アジアの学究的世界が好きなのだな、と脱帽するばかりである。興味のある分野こそ全くかけ離れてはいたが、いずれにしても、カレン先生ほどのユニークで面白い「偉大なる変人」は、後にも先にも、残念ながらSOASで出逢うことはなかった。

 

 

【クリストファー・カレン教授の主な編著書】

  • 〈翻訳〉The Suàn shù shū 筭數書 ‘Writings on reckoning’ (Needham Research Institute, 2004) ※こちらから無料でダウンロード可
  • 〈共同編集〉Medieval Chinese Medicine: The Dunhuang Medical Manuscripts (Needham Research Institute Series) (Routledge, 2004)
  • 〈編集〉Astronomy & Maths in Ancient China: The 'Zhou Bi Suan Jing' (Needham Research Institute Studies, Series Number 1) (Cambridge University Press, 2008)
  • 〈著〉The Foundations of Celestial Reckoning: Three Ancient Chinese Astronomical Systems (Scientific Writings from the Ancient and Medieval World) (Routledge, 2016)
  • 〈著〉Heavenly Numbers: Astronomy and Authority in Early Imperial China (Oxford University Press, 2017)

*1:邦題では『モンゴル帝国の歴史』杉山正明・大島淳子訳(角川書店、1993年)としても刊行。現在は絶版